2017年05月10日

教会がカルト化するとき 聖書による識別力を養うPart2

【「神の権威」で自分に依存させるマインド・コントロールの仕組み】

 25年ほど前に、世界中の人々を震わせた、前代未聞の大事件が起きました。南米のガイアナという国のジャングル奥で、912人もの人々が集団自殺を図ったのです。彼らは、"People's Temple"(人民寺院)という宗教団体に属する信者たちで、教祖のジム・ジョーンズの指示に従って、毒入りジュースを飲み、自ら尊い命を投げ捨てた訳ですが、このショッキングな出来事以来、「カルト」と呼ばれる宗教団体とその活動、及び周りの社会に与える影響などが注目されるようになりました。特に、多くの学者が関心を抱いたのは、カルト教団教育のテクニックです。どうして、一人の人間が大勢の人々を完全にコントロールできるのかということです。
 アメリカのカルト問題の専門家スチーブン・ハッサン氏は、カルト信者の教育方法によってもたらされる結果を「マインド・コントロール・と呼んでいます。教育された本人は、自分で考えることをせず、グループからインプットされたことしか考えない訳です。そしてその結果、グループ(指導者)に依存するようになり、最終的にはその奴隷になるのです。
 マインド・コントロールの仕組みを理解するうえでキーワードとなるのは、「権威」という言葉です。一般の人間は、権威に対して弱い部分を持っています。立派な肩書を持っている人や裕福な人の言うことに一目を置きます。例えば、隣近所の奥さんが、「来週の木曜日に大地震が起こるから、今のうちに逃げた方が良い」と言ったとしても、その言葉を気にする人はほとんどいないでしょうが、言った人が東京大学の教授だとすると、その警告は重く受け止められるはずです。心理学者は、これを「権威の法則」と言います。
 宗教団体の創立者の最大の問題は、まさに、この「権威」の問題です。つまり、「私の言うことを聞かなければならない。私に従わない者は救われない」と、なぜ言えるのか、どのようにそのことを人に納得させるかです。権威が認められなければ、誰も信じてくれない訳です。カルト教団は、この問題を乗り越えるために、非常に手っ取り早い、しかも効率の良い手段を用います。つまり、彼らは神の権威を主張して、人を自分に依存させようとするのです。
 「あなたは、一人で聖書を読んでも分からないでしょう。また、今、悪がはびこっている世の中で、幸せな人生を見いだすことなど、ほとんど不可能だと思いませんか。しかし、私たちのグループには、神から特別に選ばれた人(人々)がいます。彼(彼ら)は、神の代弁者(預言者、忠実なしもべ、神の用いる唯一の伝達の経路)として、聖書を正しく解釈できるし、生きていくための知恵を知っているし、世の中の様々な問題の解決策を持っています。ですから、彼(彼ら)から教えを受けて、従っていけば、間違いなく幸せになれます。救われます」
 カルト信者は巧みな言葉をもって人々に近づいていきます。自信のない若者や、子育てなどで悩む主婦や、挫折しているサラリーマンにとっては、非常に魅力的な言葉です。心の平安を得ることができるからです。
 世の中が複雑になり洪水のように情報が氾濫している中で、多くの人々は何を信じたらよいか分かりません。現代人にとって、自分で考えて判断し、自分の人生に対して自分で責任を持つということは、とてもに苦手なのです。ですから、権威をもって単純な説明や回答を示してくれる宗教団体に、彼らは非常に弱いのです。神の権威を主張して、「これが絶対に正しい」と宣言する宗教団体があれば、その言葉に飛び付くのです。(真理のみことば伝道協会代表 ウィリアム・ウッド)
----------
出典:クリスチャン新聞 2002年9月15日号


20020915_wood.gif
posted by CVSA事務局 at 10:29| Comment(0) | 教会問題

2017年05月03日

教会がカルト化するとき 聖書による識別力を養うPart1

【良いものと悪いものを見分け危険を自分で判断するために】

 30代の主婦から相談の電話がかかって来ました。最近、ご主人がカルト教団とかかわるようになり、別人のように人格が変わってしまったというのです。普通のサラリーマン生活を営みながら、朝と夜の集会参加や、「奉仕」に全精力を注ぎ始めたために、睡眠時間が3時間も取れなくなってしまったそうです。
 心配した奥さんが「ほどほどにした方が良いのではないか」と注意したところ、「離婚してほしい」と言われてしまい、ご主人が家に帰らなくなり、しかも、奥さんと2人の子どもの生活費を全く入れなくなった、というのです。
 胸の痛みを覚えながら、ご主人の関わっているグループの詳細について尋ねると、なんと、十字架を掲げたキリスト教会だと言われたのです。「神の預言者」と自称する牧師がいて、聖書から教えを説いているそうです。また、その牧師が人のために祈ると、その人が倒れたり、病気が治ったりするそうですが、日ごろ様々な悩みを持っていたご主人がインターネットでその教会の存在を知り、救いを求めて教会を訪ねると、こう言われたとのことです。「あなたは自分の意志でここに来たのではありません。神の聖霊によって導かれました。ですから、この教会にとどまっている限り、あなたは安全ですが、ここから離れたら滅びてしまうのです」
 更に、驚いたことに、その日のうちに洗礼を授けられたそうです。「神の預言者」の話には並々ならぬ説得力があったのでしょう。しかし、1人のサラリーマンがいとも簡単に説得されて、家族を捨てるほどの熱心な信者になるとは、「悲劇」と言うほかありません。
 また最近、「牧師から暴力を受けた」というクリスチャンからの報告が多数、著者のところに寄せられています。
 このような悲劇の根本的な原因は、現代人の識別力の乏しさにあります。カルトの巧妙なテクニックを見破ることができないのです。
 使徒パウロは、ピリピの町で信仰を持った、若いクリスチャンたちのために、こう祈っています。「あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように」(ピリピ1章9〜10節)。
 「識別力」とは、何が良いか悪いか、正しいか正しくないかを見分ける力です。この識別力は神からの知恵であり、求める者に賜物として与えられます。また、様々な人生体験、また聖書研究によって養われていくものですが(ヘブル書5章14節参照)、識別力のある人間は、人の話を鵜呑みにせず、注意深く考えたうえで、自分で判断を下します。たとえ、相手が「神の預言者」、あるいは「牧師」の権威を主張しても、です。
 今年5月、いのちのことば社より『「信仰」という名の虐待』という本が出されて、キリスト教会の中で傷つけられた方々の実態と、問題の原因となっている教会の体質が検証されましたが、本連載の目的は、問題を未然に防ぐために必要な「良い物と悪い物を見分ける感覚」(ヘブル書5章14節)を養い育てることにあります。それによって容易に、カルト教団の巧妙なマインド・コントロールの手法を見破ることができるようになると信じます。また、カルト化してしまった教会の中で傷つけられた人々の、心の癒しに役立つのではないかと考えます。
 更に、本連載の警鐘を通して、カルト的手法を用いることをやめて、聖書の原点に立ち返る教会が一つでもあれば、これ以上の喜びはありません。(真理のみことば伝道協会代表 ウィリアム・ウッド)
----------
出典:クリスチャン新聞 2002年9月8日号


20020908_wood.gif
posted by CVSA事務局 at 12:32| Comment(0) | 教会問題

2015年09月05日

神社仏閣油撒き事件と教会への提言

 「何か私たちが学ぶべき教訓が一連の出来事のなかにあるのではと思うので、原稿を書いてもらえないか」という寄稿の依頼を受け、先月号の「ハーザー 2015年9月号」に提供した記事を記しておきます。
主が真実を光に照らし、日本のキリスト教会に影響を与えた、この事件の全容と真実が解明されますように。  
----------
@ K氏との出会い
 「クリスチャンは愛し合わないといけません。殉教者の精神に戻り、愛し合わないといけません。『もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。』日本の教会は、福音派、聖霊派、いろいろな宗派があり、お互い喧嘩して悪口を言っていることも聞いています。愛し合って、一致する時、教会にたくさんの人が来ます。それがリバイバルです。」
 神学校を卒業した年、奉仕が入っていたその日の礼拝は、外部からの日本人の講師であった。Kというその講師は、アメリカでTOP5の腕を持つニューヨークの産婦人科のドクターだと自己紹介し、イエス・キリストがいかに自分の人生に介入し、奇蹟が働いて、医者となり患者を癒してきたかを語った。そして、「教会はこのままではいけません。クリスチャンはもっと愛し合わないといけません!」と語った。(※ メッセージテープあり)
 これまでの信仰生活の中で、聖書の教えの主張の違いや人間関係の誤解が、人間の罪の性質に働き、たやすく分裂をもたらし、主が与えておられる一致が崩れ、教会が弱体化していく様子を見てきたため、リバイバルを妨げている一番の原因は、「愛と一致の欠如」だと私は思っていた。(「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:35)詩篇133篇
 K氏は、「IC」という世界的宣教団体の国際理事をしていると言われ、グローバルな影響力がある人だという印象を持ったため、国際的な視野の意見を聞くために、頻繁ではなかったが、メールでの交流が始まった。

 1年ほどが過ぎて、K氏から「IC」の本部に何か問題が発覚し、「I」というmission団体を立ち上げることにしたという連絡が入った。ちょうど勤めていた派遣職が満了となった時期であった。仕事が決まるまでのお手伝いという感覚で、事務奉仕を引き受けたのであった。
 K氏のメッセージの中では、神社に行っての霊の戦いや神の御声を聴く祈りの訓練についても語られていたが、キリストなる神は、離れたところからでもお言葉一つで奇蹟を起こすお方であり、なによりもキリスト自身が実際に土地につくような霊の戦いをなされたと聖書には書かれていないことなので、私自身は、必要を感じず、神社や異教の霊などよりも、キリスト自身に目を留め続けたいと思っていた。またそれよりもむしろ、兄弟間に働く不和、不一致により、教会が輝けなくなるように働く内部の事柄のほうがよほど大きなことに思えていた。
 神の御声を実際に聞くことについても、内なる御霊が心の内に働く御声と聖書のみことばを正しく聴きとり、主に向かう教えがなされていくならば、すばらしいように思って委ねていたのである。

A 「I」で
 「I」の働きは、聖会を開き、ビジョンを伝えて賛同者を集め、「Back to Jerusalem」宣教のための宣教師を集めることであった。その目標に向かうために、日本のリバイバルに与えられている時間は限られていると、K氏は宣伝活動を促していた。宣伝効果が出て、教派を問わず大きな教団や小さな教団から家の教会、カトリックからも登録者が集まってきて、3か月後には、御声を聞く訓練が開始された。
 もともと信仰を持っている者たちが、それぞれの信条を持って集まってきているわけで、中にはかつてカルトとして社会問題になったような団体の人が加わったこともあったが、K氏は「『I』には神の強い光があるので、古いものが変えられるか、耐えられなくなっていなくなるかになる。『I』は誰をも拒むことはしません。」と対応を取ることはしなかった。
 「I」の聖会や招かれた教会で語られる内容は、毎回似たような証であった。集まってきた“働き手”に、宣伝用としてK氏が語ったメッセージのDVDを数十枚ずつ配られていたが、半年経っても、宣伝する内容は福音でもキリストでもなく、K氏自身であった。

 このように「I」と関係を持つことになったのだが、深入りをしないですむ機会がなかったわけではなかった。「I」が立ち上がった頃、K氏個人に関することで、私生活についてのうわさを確認するようにという助言を牧師から受けたのだが、うわさと本人の言い分に180度食い違いが見られた。K氏本人に確認したところでは、きっぱりと否定してそれなりの説明を受けたため、誰が流したかわからない悪いうわさを信じることはできず、嫉みや傷から、真実ではない中傷を流されるということも考えられたため、また、弱さや欠点は誰にでもあると、流れのままに委ねてしまったのであった。
 そのような中、発足から3か月ほどすると、K氏が言う「神がこう言われた。」「こうなると言われた」と個人的に聞いている具体的な内容が実現していないことが、目立ち始めた。預言というものは長いスパンのものもあるので、注視するに留めていたが、はっきり実現しなかったものがある今となっては、それは神が言ったのではないというほかない。「『ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。』あなたが心の中で、『私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか。』と言うような場合は、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。」(申命記18:20-22)

 宣伝効果によって、「I」の影響は全国に及んでいたので、問題となりそうな行為を見聞きすると、行き過ぎることのないように事務局で注意を払っていたのだが、危ない団体と認識せざるを得ない確定的なことが起きた。2013年12月になって、一部「I」メンバーの周囲の迷惑を顧みないやり方が目につき、起こっている迷惑行為を事務局としてK氏と日本の代表者に報告していた。なんとか治めないと教会の一致どころか、問題ある団体となってしまうと思ってのことであったが、結果的にカルト化特有の現象が現れ、その後のやり取りで見えたマインドコントロール「偽りの神の声にコントロールされる危険」を感じ、私個人がどうこうして治まる問題ではないことを確認し離れた。

B 「I」脱退後
 離れた後、導かれるままに関係者たちを通じ検証していった結果、驚く程の偽りがだんだんと明らかになっていった。上手な詐欺師は自分をも騙すと聞くが、まるで詐欺被害にあったような心境であった。
 「I」から離れた後は、その性質上、社会的な問題が起こることが予測されたため、私自身、団体に名前を置いていた責任を感じ、機会が与えられる度に、危険性を警告していたが、霊の戦い、使徒、預言を強調するような教えの中にいる人などには、何が悪いのか理解されないこともあり、中には「良いものを悪く言うのは欺瞞の罪だ」と断罪の言葉が聞かれることもあった。それでは、悪いことを良いようにいうのは、何といえばよいのだろうかと思いつつも、気付く時が来ること願い、神に委ねた。(「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。」(伝道者 7:13)

C 事件をふり返って
 神社仏閣油撒き事件が発覚した後、「I」から離れた人もいるが、ここに至っても霊の戦いに勝利したことへの攻撃による迫害だという言い分を信じる人たちもいる。殉教の精神が口先だけではなく、また、油を蒔いた行為が、真実の神の愛から出た行為であるとしたら、明るみになった今こそ、証のチャンスではないか。
 日本人が培って大事にはぐくんできた文化への思いを踏みにじるならば、日本人の福音を聞く耳が閉ざされてしまっていく。パウロが「この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦している」(Uコリント6:3)と言っていることを思い出してほしい。

D God God詐欺に遭わないために
 現在、キリスト教会の不祥事を聞くことが多くなり、カルト化被害の相談も増えてきている。選民をも惑わそうとする主の敵は、聖書の知識も知っていて、神のように見せかける奇蹟も起こし、占いのように的を得ている予言もできる。息子を語るオレオレ詐欺ならぬ、神の名を語る“God God詐欺”である。
 主の敵と本当の神の違いは、根本にキリストの愛があるかどうかであるのだと私は思う。  神は愛である。愛なる神は、弱い者の言葉に耳を傾け、不義を訴える者を押さえつけることはなさらず、平和の和解を成し遂げてくださるお方である。
「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」と十戒にあるが、“God God詐欺”は聖書の時代から歴史を通じて起こっているといえる。その手段と手口を学ぶことは、被害の予防につながることである。

キリスト者の間の真実の愛・平和・一致を祈ります。

主にありまして

関連記事:God God 詐欺
posted by CVSA事務局 at 22:07| Comment(0) | 教会問題