2017年08月07日

教会がカルト化するとき 聖書による識別力を養うPart8【最終回】

【それでは教会員はどうするか 祈り、謙虚に、恐れず、黙らず】

 自分の教会がカルト化し、マインド・コントロールが行われているのではないかと疑問を抱き始めた教会員は、どうすれば良いのでしょうか。
 まず、何よりも先に、祈ることが必要です。主が介入してくださるように。関係者一人ひとりに知恵と力と勇気を与えてくださるように。また、主の癒しが与えられるように。カルト化している教会には、傷ついている信徒が多くいます。問題が明るみに出るにしたがって、牧師が傷を受けることも考えられます。
 次に、個人的に牧師と会って、教会に関する問題点を打ち明けると良いでしょう。その中で重要なのは、カルトやマインド・コントロールの問題に関して、牧師に正しく理解していただくことです。どこに問題があるかについて、言葉で説明するか、本を読むように勧めます。自分に同調する仲間を作ろうとしたり、牧師の悪口を言い触らしたり、分裂を起こしたりすることは禁物です。
 第3番目に、牧師が問題点を認め、その改善のために対策を打ち出したなら、全面的にサポートすることです。お互いに赦し合い、お互いの癒しのために祈り合い、前のことを忘れて、共に健全な教会形成を目指しつつ力を合わせることです(ヤコブ5章16節)。
 第4番目に、牧師がマインド・コントロールの問題などを理解したうえで、教会にそのような事実はないと否定し、牧会方針の健全さを十分に説明した場合、その説明を謙虚に受け入れることです。牧師に対する誤解があったなら、赦しを求めることも必要でしょう。
 第5番目に、牧師が話に耳を貸さなかったり、マインド・コントロールに関する情報を拒否したり、「牧師を批判するとは何事だ!」という態度を見せて、話を持ちかけた信徒に罪責感を負わせようとした場合、同じ教団の理事か、カルト問題を専門的に扱う団体に相談すると良いでしょう。本当に問題があるかどうか、信徒だけで判断することが難しいケースがあります。また、牧師が信徒の話を受け付けなくても、先輩の先生、あるいは専門家の話なら聞く、ということも考えられるでしょう。
 第6番目に、事態が改善されない場合、最後の手段として、自分を守るために教会を去り、別の群れで交わりを求める、という選択があります。カルトは、グループを離れた者に「裏切り者」とレッテルを貼り、「神にさばかれる」と恐怖心を植え付けますが、これは、人をコントロールするための心理的トリックです。「宗教団体を出ることイコール神に背くこと」というカルトの論法は、聖書に何の根拠もありません。どこの宗教団体に属していようと、主はご自分を見上げる者を顧みてくださるのです。
 いずれの行動をとるにせよ、一人の信徒として、教会におけるカルト問題に立ち向かおうとする時、並々ならぬ勇気が要求されます。「私は信徒にしか過ぎない。先生にどうこう言う立場ではない」と考えて、問題に目をつぶるクリスチャンが多くいます。しかし、黙っていることは問題を容認することであり、場合によっては、「霊的虐待」に協力することにもなりかねません。主の助けを祈り求めつつ、声を上げるべきです。
 教会内(あるいは牧師)の問題を指摘されても、「神がさばかれるから、私は黙っているだけだ」と言う人がいます。一見、信仰深い態度のように見えますが、責任回避にもなりかねません。すべきことをしたうえで神のさばきに委ねるのであれば、それは謙虚で立派なことでしょう。しかし、罪に目をつぶり、問題に対して黙っていては悪を容認することにしかならないのです。(真理のみことば伝道協会代表 ウィリアム・ウッド)
----------
出典:クリスチャン新聞 2002年10月27日号


20021027_wood.gif
posted by CVSA事務局 at 13:26| Comment(0) | 教会問題

2017年06月26日

教会がカルト化するとき 聖書による識別力を養うPart7

【家庭崩壊あおり組織を正当化する「迫害」は誰の名のゆえか】

 カルト教団はしばしば過去に組織に降りかかった「迫害」の話を用いて、組織の宣伝をします。「あなたがたは必ず迫害を受ける」と、信者に警告することもあります。
 例えば、エホバの証人の研究生(求道者)は、学びの初期の段階で、次のように教育されます。「もし永遠の命をいただきたいなら、神と王なるみ子、および神の王国についての正確な知識が必要です(ヨハネ 17:3)。悪魔サタンがあなたにこの知識を得させたくないと考えていること、そしてあなたがこの知識を得るのを力の限り妨害することは確かです。どのようにそれを行なうでしょうか。一つの方法は、ちょう笑などの形であなたが反対されるように仕向けるのです」(『あなたは地上の楽園で永遠に生きられます』23頁)。
 エホバの証人の研究生の多くは、ここに書かれたとおりの経験をします。家族から反対されて、家庭の中で様々なトラブルが起きますが、本人は、「やはり、組織の予告どおりだ」と、組織に対する確信を強めるのです。
 カルト化した教会の信者も、家族の迫害に遭って、最後に家庭崩壊を経験することがよくあります。その悲劇の多発を正当化するために、カルト教団は決まって、マタイによる福音書10章の聖句を引用します。
 「兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます…わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません」(20〜21節、34〜37節)。
 カルト教団はこの箇所を取り上げて、「あなたが家族から迫害を受けるのは、キリストのみことばの成就である。家族を捨てることこそ、真の弟子になる条件だ」と信者を教育します。また「迫害は、この教団が神の祝福されている唯一の真の宗教組織(教会)であることを証明している」と宣伝をするのです。
 しかし、真のクリスチャンが迫害を受ける理由は何でしょうか。「わたしの名のために」とキリストは言われます(マタイ24章9節、5章11節、ヨハネ15章21節、使徒5章40〜41節、9章16節参照)。イエス・キリストに対する個人的な愛・信仰・献身のゆえに、人が迫害を受けるなら、それは確かに、キリストのみことばの成就であると言えましょう。しかし、カルト信者の場合、迫害が起こる原因が他にあります。つまり、信者のグループ(指導者)に対する盲従・盲信、異常に高いノルマ達成の強要、社会に対する破壊的行為などです。そのような理由で迫害(批判)されることがあっても、それは主イエスの語られたみことばとは無関係です。キリストの名のための迫害ではなく、そのカルト教団の名のゆえの迫害なのです。
 真のクリスチャンは確かに、キリストの名のゆえに、迫害を受けることがあります。家庭において、トラブルが発生することもありますが、基本的には、家庭が幸福になることは神のみこころです。ですから、「迫害」が起きた時に、すぐに別居や離婚を勧める多くのカルト教団の方針は、キリストの約束を否定するものです。(真理のみことば伝道協会代表 ウィリアム・ウッド)
----------
出典:クリスチャン新聞 2002年10月20日号


20021020_wood.gif
posted by CVSA事務局 at 15:00| Comment(0) | 教会問題

2017年06月03日

教会がカルト化するとき 聖書による識別力を養うPart6

【奇跡に驚き無防備になりがち真理への愛失わせる惑わしも】

 心の病で苦しんでいたある男性の話です。カウンセリングを受けても、薬を飲んでも、病気が治らず、挫折していました。そんなある時、「奇跡が起こる」という噂の教会を知りました。ワラをもつかむ思いで教会の門をくぐりました。病気のことを話すと、「必ず治る」と言われ希望を持ちましたが、薬を捨てさせられ、断食させられ、献金を強要されてしまったのです。しかし、奇跡が起こらないばかりか症状が悪化する一方でした。男性は教会に行くのをやめようと思い、牧師に話しました。すると「この教会をやめる人は、皆、死ぬんですよ」と宣告されたということです。
 人間はともかく、「しるし」を求めます(Tコリント1章22節参照)。特に、大きな悩みを抱えている人は、その傾向が強いと言えましょう。聖書は決して、奇跡を祈り求めることを禁じている訳ではありません。もちろん、聖書の神は全知全能で、今も奇跡をなしてくださるお方です。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」と語りかけてくださる主です(詩篇50章15節)。
 しかし聖書はまた、奇跡が起こるかどうかは神の摂理の中の問題であることを示しています(使徒4章24〜30節、ローマ書15章17〜19節参照)。真の奇跡は、必ずしも人間の要求どおりに起こるものではなく、主がご自身のみこころ(計画、目的)をなすために、ご自分が良いと思われる方法とタイミングで行ってくださるものです。(Tヨハネ5章14〜15節参照)。
 ですから、いかなる場合にも「奇跡」を保証するグループは、神の主権の領域を犯しており、聖書から逸脱しています。奇跡は、それが神のみこころにかなった時にのみ、起こるのです。
 では、奇跡が起こる教会は根も葉もない噂に過ぎないのでしょうか。確かに何かが起こっているのでしょう。「問題が解決した」「病気が治った」「解放された」と実感し、大胆に証しをしている人がいるでしょう。しかし、不思議なことが起こっているから健全であるとか、聖書に忠実であるとか、神の祝福を受けていると、一概には言えません。サタンの力による「しるし」もあるのです。
 「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します…不法の人の到来は、サタンの働きによるものであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます」(Uテサロニケ2章3〜4節、9〜11節)。
 奇跡を見せつけられた人間は、驚きが大きければ大きいほど、無防備になりやすいものです。「これだけの奇跡を行うことのできる人(団体)は、きっと神に導かれているのだから、その教えもすべて神から出ているに違いない」と考えます。最終的には、奇跡をなした人の言うことを鵜呑みにするようになるのですが、そこで、「真理への愛」が失われ、「悪の欺き」や「惑わす力」が働き始めるのです。結局のところ、どんな不思議が起こっているかが最大の問題ではありません。聖書の真理が正しく語られているかどうか、これこそが重要なのです。(真理のみことば伝道協会代表 ウィリアム・ウッド)
----------
出典:クリスチャン新聞 2002年10月13日号


20021013_wood.gif
posted by CVSA事務局 at 10:50| Comment(0) | 教会問題