2017年06月03日

教会がカルト化するとき 聖書による識別力を養うPart6

【奇跡に驚き無防備になりがち真理への愛失わせる惑わしも】

 心の病で苦しんでいたある男性の話です。カウンセリングを受けても、薬を飲んでも、病気が治らず、挫折していました。そんなある時、「奇跡が起こる」という噂の教会を知りました。ワラをもつかむ思いで教会の門をくぐりました。病気のことを話すと、「必ず治る」と言われ希望を持ちましたが、薬を捨てさせられ、断食させられ、献金を強要されてしまったのです。しかし、奇跡が起こらないばかりか症状が悪化する一方でした。男性は教会に行くのをやめようと思い、牧師に話しました。すると「この教会をやめる人は、皆、死ぬんですよ」と宣告されたということです。
 人間はともかく、「しるし」を求めます(Tコリント1章22節参照)。特に、大きな悩みを抱えている人は、その傾向が強いと言えましょう。聖書は決して、奇跡を祈り求めることを禁じている訳ではありません。もちろん、聖書の神は全知全能で、今も奇跡をなしてくださるお方です。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」と語りかけてくださる主です(詩篇50章15節)。
 しかし聖書はまた、奇跡が起こるかどうかは神の摂理の中の問題であることを示しています(使徒4章24〜30節、ローマ書15章17〜19節参照)。真の奇跡は、必ずしも人間の要求どおりに起こるものではなく、主がご自身のみこころ(計画、目的)をなすために、ご自分が良いと思われる方法とタイミングで行ってくださるものです。(Tヨハネ5章14〜15節参照)。
 ですから、いかなる場合にも「奇跡」を保証するグループは、神の主権の領域を犯しており、聖書から逸脱しています。奇跡は、それが神のみこころにかなった時にのみ、起こるのです。
 では、奇跡が起こる教会は根も葉もない噂に過ぎないのでしょうか。確かに何かが起こっているのでしょう。「問題が解決した」「病気が治った」「解放された」と実感し、大胆に証しをしている人がいるでしょう。しかし、不思議なことが起こっているから健全であるとか、聖書に忠実であるとか、神の祝福を受けていると、一概には言えません。サタンの力による「しるし」もあるのです。
 「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します…不法の人の到来は、サタンの働きによるものであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます」(Uテサロニケ2章3〜4節、9〜11節)。
 奇跡を見せつけられた人間は、驚きが大きければ大きいほど、無防備になりやすいものです。「これだけの奇跡を行うことのできる人(団体)は、きっと神に導かれているのだから、その教えもすべて神から出ているに違いない」と考えます。最終的には、奇跡をなした人の言うことを鵜呑みにするようになるのですが、そこで、「真理への愛」が失われ、「悪の欺き」や「惑わす力」が働き始めるのです。結局のところ、どんな不思議が起こっているかが最大の問題ではありません。聖書の真理が正しく語られているかどうか、これこそが重要なのです。(真理のみことば伝道協会代表 ウィリアム・ウッド)
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出典:クリスチャン新聞 2002年10月13日号


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posted by CVSA事務局 at 10:50| Comment(0) | 教会問題
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