2015年09月02日

「信仰」という名の虐待 Part2 「罪責感を植えつけ支配する心理操作のメカニズム」

 2002年のクリスチャン新聞に、9回にわたって「『信仰』という名の虐待」という題の記事が連載された。あれから、13年と半年の歳月が流れたが、この問題は解決するどころか、広がりを見せている。これは昔の問題ではなく、今も解決が見られない問題である。
著者の了承を得て、ここに、記事を抜粋する。
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 人間を支配するためにはいろいろなテクニックがあって、それによって操作された人は傷を受けます。「信仰」という名の虐待が、精神的な面を支配するだけでなく、人間の霊的な(魂の深みの)部分にまで及んだ場合には、傷はとても深く、立ち直るのに非常に時間がかかります。
 この問題を研究しているアメリカの牧師ジェフ・バン・ボンデレンの指摘によると、普通の教会では、牧師や長老は信者の精神面を霊的に支え、育てていく役割を担っていますが、牧師や長老が自分たちの欲求を満たすために信者たちの心を利用するようになると、これは「『信仰』という名の虐待」となります。
 そのような牧師や長老たちは、「自分たちの言うことに逆らうならば、それは神様に反逆することと同じだ」と言って、相手に強い罪責感をもたせます。罪責感を植えつけられた人は、牧師に背いて自分の意志を持つことに対して、強い恐怖感を抱くようになります。そのために、社会生活においても自分の意志を表すことをあきらめるようになり、牧師や長老たちから支配されるままになっていきます。
 実際に起こった事例を2つあげたいと思います。(特定の教会の例ではなく、各国で報告されている典型的なケースを編集してあります)
 ある教会では礼拝の時に、牧師が一人の信者を名指しで批判しました。「自分の言うことを聞かなかったので、大変な罪を犯したことになる」と言い、他の信者に向かって、「今から彼と話をすることを禁止します。彼の行動はすべて私に報告しなさい」と命じました。名指しをした信者に対しては、「あなたが悔い改めるまで、これを続けます」と言いました。またある教会では、牧師と長老たちが信者の家を一軒一軒訪ねてまわり、「○○さんと交わりを持つのは神様から見て良くないので、交際をやめなさい」と言いました。
 どちらの例も、牧師と長老は、信者に命令する時に聖書のみことばを用い、あたかもそれが神様の命令であるかのように言いました。批判を受けた前者の信徒はその教会にいられず、別の教会へ移りました。そこで出会った牧師を通して、自分が前の教会で操作されていたことに気がつきました。そして長い時間をかけて自分の深い傷が癒されていきました。しかし、後者の信徒はその教会へ行かなくなりましたが、心の傷がとても深かったために、他の教会を訪ねる気持ちにさえなりませんでした。
 破壊的カルトから離れると、元メンバーはその集団によっていろいろな呼び方をされます。統一教会では「落ちた者」、オウム真理教では「下向者」、エホバの証人では「背教者」という具合です。破壊的カルトの信者がこのようなことばを聞くと、離脱した人たちに対して、「かわいそう」「神様を悲しませた」、あるいは「神様を裏切った」などと思うようになり、以前のように付き合うことができなくなります。そのことばのみで判断して、その人がどうして離れたのか、本当の理由を考えることもしなくなります。「虐待」を行う協会の中では同様のことが起こるのです。(マインド・コントロール研究所所長 パスカル・ズィヴィー)
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出典:クリスチャン新聞 2002年1月27日号


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posted by CVSA事務局 at 22:10| Comment(0) | 問題提起
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