2015年04月21日

神の声を聞く人々

ここ10数年の間に、預言や神の声を聞く訓練というものが盛んになってきている。
はたして、神の声は訓練して聞くものであろうか?
アブラハムは?モーセは?サムエルは?ダビデは?パウロは?
人が施す訓練で何か霊的な声を聞けたとして、それが神だとどうして言えよう。

意図せずして、とある黙想会(キリスト教を名乗っていた)に参加していたことがある。
神との間に牧師などの人を介せずに、静まって、神が語られるのを待ち、1時間以上静かに神の声を聞くというものであった。
聴き取った内容を発表していくと、驚くような不思議があったりすることがあった。
それを神だと信じるならば、喜びも起こった。

しかし…。
肝心なことは、その人たちが神の声を聞いた後に結んでいく実である。
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、分裂を避け、治めるために真理の中で最善の努力をするものである。
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、反対者がいたとしても、支配するように自分は神の声を聞いたという高圧的な態度をとることはせず(神の声を聞いたと事実を言うこととは区別されなければいけない)、柔和な心でその人を正す努力をするものである。
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、ひとつも違えることなく成就するものである。(誤って自分の思いを神だと思って誰かに影響を与えてしまったとしたら、悔い改めるとともに影響を与えた人たちに謝罪するのが主にある姿である)
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、人の自由意思を無視したような支配をすることはない。
                    ・・・

「御霊には、『ただいま訓練中」ということはなく、御霊は常に、真実で純粋なことだけを語られる」(「主は本当にそう語られたのか?」ジョン・ビビア著 158頁)
「平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、ほんとうに主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」(エレミヤ 28:9)

神は、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるお方であり、預言もその一つである。
主導権は「神のみこころ」にある。訓練次第で何とかなる領域ではない。

本物の神からの預言は、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という次元のものではない。100%当たるものである。
神の領域を占いのような次元に引き下げることは、恐ろしいことである。

「主のみこころを知りたい」というクリスチャンならば誰でも抱いている願望に働く主の敵がいることを忘れてはならない。

神の声を聞く人々によるパワハラ被害が出ている。
本物の神の声を聞く人々は、誰の目から見ても、よい証しとなるものだ。(神は愛)
その人たちには、御霊の実が現され、人ではなく神の栄光が現れている。
posted by CVSA事務局 at 21:49| Comment(0) | 警戒情報
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