2017年05月15日

教会がカルト化するとき 聖書による識別力を養うPart3

【聖書と実から吟味されるべき指導者への「服従」のありかた】

 マインド・コントロールの最大の問題点とされているのは、人間の成長が止まってしまうことです。人に依存している間は、人間は自分で考えることをやめ、精神的・霊的・知的成長がストップしてしまいます。本人は素晴らしい人生を発見したと喜んでいますが、その「素晴らしい人生」を歩み続けるために大きな代価を支払うことになります。つまり、自分の心を失ってしまうのです。
 最近、「あるキリスト教会で行われている聖書教育も、一種のマインド・コントロールではないか」と、指摘されるようになりました。牧師は神の権威を主張して「絶対服従」を信者に要求し、その牧会方針によって信者を傷つけてしまうケースが少なくありません。
 確かに、「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい」という聖句があります(ヘブル13章17節)。「長老たちに従いなさい」とも書かれています(Tペテロ5章5節)。しかし、聖書が教える「服従」とは、何も考えずにやみくもに従うことではありません。霊的識別力のあるクリスチャンは、指導者の話を謙虚に聞いたうえで、それが聖書に忠実なメッセージであるかどうかを注意深く考慮します。そして、確かに聖書と一致した指示であると判断したなら、その指示に従いますが、指導者の言うことが聖書に基づいていない、あるいは聖書に反しているという結論に達した場合、服従しない道を選ぶのです。
 ペテロが語った「人に従うより、神に従うべきです」という言葉は有名ですが(使徒5章29節)、忘れてはいけないのは、これが神の権威を主張した当時の宗教指導者に対して語られた言葉であるということです。
 ベレヤの人々も、パウロから福音を聞いた時に、そのメッセージを鵜呑みにせずに、「はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べ」ました(使徒17章11節)。
 聖書に忠実な、真の霊的指導者は、神の権威を主張したりしません。実際のところ、「私は神から権威を授けられているから、私に従いなさい」と言う人は、そのように発言することによって、自分に権威がないことを自ら暴露しているのです。もちろん、聖書に忠実な牧会者には、権威は神から与えられるものですが、それを主張することによってではなく、模範を示すことによって、周囲の人々が認めるようになるものです。神より権威が与えられるのは、人を支配するためではなく、模範を示すためです。霊的な権威は、模範を示すための力なのです(Tペテロ5章3節)。
 また、聖書に忠実な指導者は、聖書の原則に従うことを信者に教えても、聖書が直接、言及していない私生活の問題に介入せず、プライベートな問題に関する判断を、信者に委ねます(ローマ書14章参照)。そうして、自立したクリスチャンを養い育てるのです。
 人をコントロールするために、カルト教団はしばしば、「指導者に服従しなさい」という聖書箇所を悪用します。「私は神から権威を授けられており、一般の信徒であるあなたよりも霊的な事柄を深く理解しているので、何も考えず私に従いなさい」と言います。しかし、聖書はやみくもに人に従う生活を推奨している訳ではありません。
 聖書は指導者の実を調べるように勧めています(マタイ7章15〜20節)。信用でき服従して安心な指導者は、キリストと同じような、しもべの心を持っています。クリスチャンは霊的指導者に従うべきです。しかし、神の権威を主張するすべての人に無条件について行くべきではありません。神のしもべとしての実を結んでいる人に従順になるべきなのです。(真理のみことば伝道協会代表 ウィリアム・ウッド)
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出典:クリスチャン新聞 2002年9月22日号


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posted by CVSA事務局 at 10:46| Comment(0) | 教会問題